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街道をゆく 対馬の道1

「街道をゆく 壱岐・対馬の道」の対馬編は138ページの「厳原」から始まる。

一行は厳原港に夜8時過ぎに降り立つと宿までタクシーを利用するが、
このタクシーの運転手の所作で対馬の印象を悪くしてしまう。

139ページ
乗ってから行き先を告げても、運転手さんは返事をしなかった。
わずか10分ばかりの距離であったが、城下町の名残をのこす小路から小路を、すさまじい
勢いで暴走した。

中略

そして壱岐の運転手と比較し(壱岐は農業国なのだ)と、農村文化と漁村文化との違いを理解して、対馬の初印象をわるいものにすまいとつとめる。

「壱岐・対馬の道」が週刊朝日に連載されたのが1978年(昭和53年)2月3日号~
8月25日号だ。
一行が対馬を訪れたのが11月というから、前年の1977年だろうか。
当時、タクシーの運転手さんたちの評判は確かに悪い。(今はよくなったと聞いている)
空港や港で客待ちをして「短い距離の客」に当たると露骨に嫌な顔をしていた。

私は博多駅で経験した。
普通は歩いて行ける距離だが、雨が降っていてオマケに重い荷物を持っていた。
行き先を告げると、返事もなく急発進、暴走運転だ。
目的地に着いた時、正直ホッとした。
普段は基本料金でも千円札を渡しお釣りはいらないというが、その時はきっちりお釣りを
貰い、「苦情を受付けるお客様センター」に会社名と運転手名を電話したが結果は分からない。

話がそれてしまった。
タクシーは厳原港から宿舎の対馬交通ホテルに到着する。
今、そのホテルは解体され、周辺の建物と再開発事業により対馬市交流センターが建っている。

147ページ
厳原の対馬交通ホテルの邸内に小さな祠があり、「あらおどん」とよばれている。
いつの頃からか、「志賀の荒雄の墓」という。
と、『対馬古跡探訪』の一文を引いている。
「あらおどん」は、再開発の時に移設される予定だったのだろが、未だに行き先が決まっていないようだ。

152ページ
雨森芳洲の墓参り


またまたタクシーの話
157ページ
神野さんが、タクシーの営業所できいてくれた。たまたま一台、タクシーが帰ってきたので、いっそこれに乗ろうとしたが、めしだからだめだ、とことわられた。
    
 中略

158ページ
「ここです」
と、運転手が不機嫌そうにいったが、寺がない。よく見ると、左手にさらに坂が50メートルつづいていて、その上に山門が見えるかのようであったが、運転手は左折することを面倒がり、ともかくも二人の客をおろした。以下、略・・・



厳原港のターミナルビルとフェリー
フェリー (640x480)
一行が乗船したフェリーではない
また、今は午後の2時ころと未明の4時半ごろに入港するようだ



雨森芳洲の墓 日吉の長寿院にある 道程と周辺はよく整備されている
芳洲の墓 (640x480)



大手橋の小路
道路1 (640x480)


ここを左折してさらに上る
左折箇所 (640x480)
私は徒歩で行ったが、軽車両でも躊躇するような左折場所だが、上の方の駐車場にはワゴン車などの普通車があった



国昌寺
国昌寺 (640x480)


タクシーの営業所というのはおそらく「対馬観光タクシー」だろう。
泊まっていたホテルのすぐ傍にタクシーの営業所があった。
この会社は今、倒産している。親会社の対馬交通は補助金で成り立っているようなものだ。
当時、労働組合の力が強く、経営者が二人いるような会社みたいであった。
タクシーの運転手をしながらバスの運転手の空き待ちをする腰掛の会社といったら言い過ぎだろうか。
潰れるべくして潰れた、これも言い過ぎだろうか・・・


     「街道をゆく 対馬の道2」に続く・・・
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門のある風景

昨日、万松院で執り行われた「大祈祷会」の帰途に撮った門のある家


吉永自動車整備工場の隣にあった家の門
1万松院通り (640x480)
左側に見える小屋も相当な年季が入っています



厳原幼稚園の裏門、たぶんここが開かれることはないでしょう
2幼稚園 (640x479)
門の隙間から中を覗くとすぐ左側に遊具類があり近所の子どもたちが遊んでいました


市役所前にある家の門
3市役所前 (640x480)
中学校の校長先生で対馬のバレーボールの草分け的なお方でした


市役所の前を西山寺方面へ行くと素晴らしい石塀があります
4市役所横 (640x480)
庭木も手入れが行き届いています


過って県議をされていた方の家の門です
5市役所横 (640x477)
車社会ではしかたのないことですが、車庫のシャッターが・・・


こちらの門は勝手口?でしょうか
6市役所横 (640x477)


この県議をされていた方の家には思い出があります

昭和40年代の初め、当時厳原の野球クラブに所属していた私は、ある日飲み会の連絡で
同じクラブの方の家を訪ねました

表札を見ると「○△」とあります
玄関を開け「○△先生のお宅でしょうか?」
ご年配の女性が「はい、そうですが、どちら様でしょうか?」

「○○クラブの■■です、今夜どこそこで打ち上げをしますので・・・・」

「あのう、どちら様をお訪ねですか?」

ここで相手方のフルネームを告げると

「あらっ、ここは○△県議の家ですよ」

たまたま小学校の教員をしていたメンバーだったので「○△先生」と呼称したのがいけなかった

この話は、一時野球仲間の酒の肴となってしまいました ^^;


大祈祷会

今日は旧暦の1月7日、七日正月でした

厳原にある「万松院」で恒例の「大祈祷会」が行われるということなので午後から出かけてみました

大祈祷会という行事に関心があったのですが、一番の魅力はチラシに書かれていた

「● 尚、当日は山門を開扉し拝観料を無料といたしますのでご自由にご参拝ください」

という、文言に惹かれました

万松院には年に数回は対馬に来られた方々を案内して訪れますが

その時は、ご住職の粋な計らいで「私の拝観料300円」は員数外です


参道は車でいっぱいでした
1-1万松院 (640x480)


山門が開扉してありました
1-2万松院 (640x480)


本堂に人々が入っていきます
2万松院 (640x480)


記帳所で受付を済ませます 中には多くの方々が・・・
3万松院 (640x478)


「● 古くなったお札、お守り等、お焚き上げ致しますのでご持参ください」とチラシに書いてありました
4万松院 (640x479)


山門は国指定の文化財ですから、まさか山門のすぐ近くで「お焚き上げ」はしないと思いますが・・・


古事記の旅

今日の読売新聞に豊玉町にある「和多都美神社」が「古事記の旅」というシリーズの中で

取り上げられていたので紹介したい

和多都美神社は『延喜式』「神名帳」に記載されていることから通称「式内社」と呼ばれ、

その式内社が西海道(9国2島)に107社あるなかで、対馬島に29社、壱岐島に24社が

あるという(詳細は、永留久恵著 対馬国志 第1巻 326ページ以降をどうぞ)

西海道
http://www.catv296.ne.jp/~sensyo/saikaidou.htm

延喜式
http://www.genbu.net/engi/

和多都美神社
http://www.genbu.net/data/tusima/watatumi_title.htm


読売新聞1月28日 17面より転載
1-1神社記事051 (516x1024)
1-2神社記事051 (516x1024) (2)


神社正面
2正面 (640x473)


海側から
3側面 (640x464)


豊玉姫の像
4豊玉姫 (480x640)


山幸彦と豊玉姫が出会ったとされる「泉」
5玉の井 (640x477)


説明板
6玉の井 説明板(640x475)


数年前、韓国のテレビ局のドキュメンタリー番組の取材でこの地を訪れた、姜南周(カン・ナムジュ)元釜慶大学校総長は
「この海に立つ鳥居の方角には、新羅の都の慶州があります」とテレビカメラ向かってレポートしていた

  鳥居の遥か彼方が慶州か否か、私的には検証していないので

           真偽のほどは解りません

鰐浦の小屋群

「対州名物 トンビにカラス またの名物 石の屋根」と唄われた石屋根が年々消えていっている

かって対馬の村々の川縁や海沿いの一画に軒を連ねた石屋根小屋群の多くが時代の流れと共に瓦葺に姿を変え、
また、小屋全体が解き壊され姿を消している

屋根の材料には強い季節風に備える対馬独特の石屋根葺きとしたものが多かったが、
時代の流れと共に瓦葺に姿を変えている

屋根の材料以外の特徴として、火災に備え火気を使う住居から離し、川縁や海沿いに立っている

小屋の中は小さな小屋では、穀類等の食料品と衣類寝具類、什器類の二室としたもの、
大きい小屋では、穀類、衣類寝具類そして什器類とそれぞれ別室に三室としたものに分かれる

建築材料には良材を選び、柱には椎、中には欅等の良材を使ったものもある
また、屋内の湿気を防ぐため高床作り(1m弱)で、床板や壁板にも良材を用い、目板張り
になっている


山裾にへばりつく様に建っている
1鰐浦倉庫 (640x480)


改修した時、壁板の代わりにブリキが使われているものもある
2鰐浦倉庫 (640x480)


こちらも改修した時に、建築用のブロックを基礎に使用している
3鰐浦倉庫 (640x480)


小屋を挟んで細い道路がある
4鰐浦倉庫 (640x480)


犬や猫が床下に入らないよう基礎周りに網が廻してあった
5鰐浦倉庫 (480x640)

    鰐浦の小屋群の中に石屋根を見つけることが出来なかった

韓国ドラマ

釜山に住む知人から電話があった

彼は永留久恵先生の本を韓国語に翻訳したり、釜山にあった「倭館」の研究会の会長したり

と、韓国国内で幅広い活動をしている

その彼から、○日に対馬に行くから会いたい

MBC(テレビ局)の局長と一緒で、「倭館」を絡めたドラマを企画している

対馬で事前取材をするので、夕食を共にしたいという内容の電話だった

当日、指定された「志まもと」に行くと、永留先生と息子さんがすでに着座されていた

釜山からは知人の他、ディレクターとプロデューサー、そして知人の友人の画家と4人のメ

ンバーだ

厳原に着いたその日の内に「聞き取り取材」は終わっていたようだが、食事中もいろいろな

質問があっていた

ドラマの内容は、「ある程度、史実も入れながらも、あくまでフィクションで面白い時代劇

にしたい」ということだった

食事も終わりかけた頃、女将が挨拶に来られた

今回で対馬来島が59回目と言う知人が、日本舞踊を舞ってくれるよう女将にお願いすると

支度をしてくるので二階の大広間に行くようにとの返答であった

永留先生父子が帰られた後、私たちは大広間に行き女将の登場を期待しながら待った

程なく女将が舞台右袖から登場し、自分でカセットテープを操作して舞ってくれた

女将は韓国時代劇「イルジメ」が対馬を舞台に撮影した時、日本舞踊を舞ったそうだ

今度の企画作品でも日本舞踊のシーンがあればよいが・・・

気持ちよく応じてくれた女将に感謝!・感謝!


倭館の説明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E9%A4%A8


一曲目の舞踊 女将の説明では「男踊り」と言っていた
舞踊1 (640x473)


二曲目
舞踊2 (640x479)


三曲目は「釜山港へ帰れ」だった
舞踊3 (640x480)


踊りが終わった後、ディレクターの注文でポーズをとってくれた女将
舞踊4 (640x480)


観客? 左から画家、知人、ディレクター、プロデューサーの面々
観客 (640x480)


二次会は行きつけのスナックへ カラオケで盛り上がった
二次会 (640x480)


知人とテレビ局から頂いたお土産 左は高麗人参茶、右は高麗人参の粉末(健康食品) どちらも高級品だ
お土産


韓国に帰り企画を練り直しドラマの制作に入るといっていた
どんなドラマになるか、楽しみだ


一枚の年賀状

先日届いた年賀状を見て驚いた

表書きには私の名前と郵便番号だけしか書いてなかった (@_@;)

裏返してみると差出人は京都に住む知人からだった

彼は大学で「物理」を教えている学者だ

「地球物理学」だったか「宇宙物理学」だったか・・・世間一般受けしない学問ではある

著書も何冊かある、その道では知られた研究者らしい

顔は髭だらけ、私は「熊さん」と密かに呼んでいる

彼には長いこと会っていない、今は年に一度の賀状の交換だけになっているが

「アテナ」と「郵便番号」だけの年賀状をネタに便りを出してみよう

それにしても「JP」に敬意と謝意を送りたいと思う

確かに、私が住んでいる住所は「郵便番号」で特定はできる

市役所のホームページで私が住む地区(郵便番号が同じ地区)の世帯数と人口を調べてみた

世帯数は1,480、人口3,712人(昨年末現在)とあった

年賀状配達のピークを過ぎた後の配達とはいえ、「JP」さんに大きな拍手を送りたい


郵便番号と氏名だけで京都から届いた年賀状!
年賀状 (457x640)



先日、我が家上空を飛んでいた陸自のヘリコプター
1-1IMG_8967 (640x427)


2機編隊で飛んでいたので何かの訓練だったのだろう
2IMG_9011 (640x330)


この時は救急患者を搬送する機種ではなかった
離島ゆえに、専門医がいなかったり医療設備がないなど、救急患者の輸送には別機種のヘリが使用される
部屋の中にいてヘリコプターの音だけ聞くと「あ~、また急患か!」と思ってしまう

         全ての島民にとって安心して住める島になってほしい



ヤクマ

久々の更新は今日の新聞記事です


まずはその記事を
ヤクマ記事049 (555x640)


木坂のヤクマ
ヤクマ1 (640x480)


同じく木坂のヤクマ
ヤクマ2 (640x478)


青海のヤクマ
ヤクマ3 (640x480)


説明板
ヤクマ説明板 (640x479)


この「国選択無形民俗文化財」というのは他に各地区に伝わる「盆踊り」などがあります


対馬の灯台

沖椎根島灯台

対馬海上保安部の資料によると

位     置 所在地 長崎県対馬市上対馬町
北      緯 34-42-20.7
東      経 129-27-46.3
灯     質 単閃白光 毎4秒に1閃光
光     度 実効光度560カンデラ
光 達 距 離 8.0海里
設置・点灯年月日 昭和52年12月16日

とあります

上島に鳥見に行った時に、鳥見の成果が上がらないので灯台を撮ってみました


海上は穏やかです
1沖椎根島灯台 (640x425)


さすが国際航路です 灯台の沖を「カメリア」が通過しました
博多港を出航して釜山へ向かいます
2カメリア (640x425)


こちらはジェットホイルの「コビー」です
3コビー (640x395)
昨年の11月から厳原~釜山に就航しています 3月末まで特別料金 往復9,800円
博多に行くよりも安い!
ただ釜山到着時刻が午後5時15分、釜山発午前8時という時間設定なので2泊はしたいですね
ホテル代は東新ホテルで3,500円と安いし部屋も清潔、場所も繁華街まで徒歩3分
ヤキニクをたらふく食ってマッコリ飲んで約3,000円・・・



厳原港に接岸中のコビー
5コビー接岸 (640x480)

厳原港~釜山港の所要時間は1時間55分、毎週月・水・金・土・日の運航

この他にJRのビートルが比田勝~釜山、大亜高速のドリームフラワーが運航しています

   
   期限切れだったパスポートを新しく作りましたので・・・


いろいろな門

私が住んでいる地域には門構えの家が少ない

由緒ある家が少ないという訳ではないみたいだが、あまり多くはない

厳原の対馬振興局にあるような見事な長屋門はない

厳原は城下町で上級武士の屋敷があったので見事な門が残っているが、わが町は「郷士」しか住ん

でいなかった関係で、立派な門構えの家が少ないのだろうと想像する

長屋門といえば、「やまや旅館」の入り口にあった長屋門には商店がいくつか入っていた

小学生の頃、城下に行った時の楽しみの一つに、その長屋門の中の「食堂」でカマボコが入ったウドンを

食べることだった

店の名前は、定かじゃないが「江副食堂」だったかな、値段は多分、25円だったと思う

今は懐かしい思い出だ


美津島支所の裏手にある家の門
1鶏知神宮家 (640x480)


角度を変えて撮影した
2鶏知神宮家 (640x480)


この家には門が三か所ある この門は車が通行できるようになっている
3鶏知大浦家 (640x480)


車以外での出入りはここからかなぁ、小さなくぐり戸あった
5大浦家 (640x480)


写真には屋根しか写っていないが、家人が書かれた「櫓門」という木札があった
6大浦家 (640x480)


      対馬中の門を撮影するには時間がかかりそう


ぜんざい

今日1月11日は「鏡開き」ということで三時のオヤツは「ぜんざい」だった

酒をタシナム?ようになって甘い食べ物は苦手だったが、最近は少しだけだったら食べるようになった

わが町では両刀使いのことを「○○ん神様」といって、揶揄する言い方をする

この○○には集落名が入るが差別につながる?ということらしいので省略する

昨日の母に続いて父親ネタになるが

父は「糖尿病」を患った

それこそ「甘いモノ」には見向きもしなかった父が、夜中にコサガシをして甘いモノを食べるようになった

病気がそうさせる!と思っていても、朝になって親父を責めることもあった

ま、それはもう40数年前の話・・・今日はありがたく「ぜんざい」を美味しくいただいた


甘さ控えめのぜんざい
ぜんざい (640x452)


散歩の途中で見つけたフユイチゴ?かな・・・
冬いちご (640x481)


誕生日!

今日は母の94歳の誕生日!

毎年この日は近所に住む弟妹夫婦が集まり母の誕生日を祝う

福岡に住む姉妹たちは電話で参加する

52歳で連れ合いを亡くし、今年で42年になる

今は週に3回、近くのディサービスに通い、カラオケを楽しんでいる

肺炎を患い酸素が24時間必要だが、それ以外はいたって健康でテレビを見たり本を読んだりして

一日を過ごしている

健康の秘訣は、口に入れた食べ物を「80回」噛むそうだ

だから一回の食事時間に2時間かかるので、一日の内に6時間は食事タイムとなるが

何と言われようと本人は意に介しません

普通はお粥を食べているが、今朝は炊き立ての赤飯だったのでいつもよりは時間をかけての食事だ


母は昭和9年3月、釜山にあった女学校を卒業している

今日は母の卒業アルバムをスキャンしてみた



時代ですねー 文章が右側から始まります
1表紙 (640x436)


校風には第一に「尊皇崇祖ノ信念ヲ培ヒ神佛ヲ稱ルベシ」とあります
2校歌 (640x467)


財団理事の先生です
3理事長 (640x467)


校舎全景 高台にあります
4全景 (640x436)


下段右から二人目が母 18歳の春です 私はこの11年後に生まれました (^.^)
5本人 (640x464)


「内地修学旅行」 「帝都二重橋前にて」とあります
最前列右から5人目 少しニラミかげんです
6修学旅行 (640x474)


割烹着を着ての実習 前から二列目 右から二人目
7実習 (640x470)

アルバムの最後のページに卒業名簿がありますが、佐須奈から二人、厳原の久根から一人

そして鶏知から母と4人の対馬の人が卒業しています

この女学校の跡地には、現在は女子高があります

初鳥見!

今年初の鳥見に出かけた

まずオシドリのポイントに行くと6羽の群れがいたが遠いのでデジスコをセット

ピントを合わせるまでもなく飛ばれた ^^;

で、飛ばないでいてくれたヒドリガモ♂を・・・

こちらもピントを合わせていたら飛び出した


ヒドリガモ♂
ヒドリガモ (640x454)



午後から小茂田方面へアメリカヒドリガモを目当てに行くが

目的の彼を見つけることが出来なかった

話しに聞いていたオナガガモ♂3、♀1はすぐに発見

デジスコだと飛ばれる恐れがあるので車の中から400mmで撮影


オナガガモ♂
オナガ1 (640x425)


オナガガモ♂と♀
オナガ2 (640x425)

カイツブリ
カイツブリ1 (640x427)


鳥友のブログにノビタキが越冬していると載っていたが、写真に撮ることが出来たけど
無事に冬を越せるかな?

七草粥

「一週間のご無沙汰でした!」

「ロッテ歌のアルバム」の司会をしていた方の決まり文句でした

毎日、毎夜、飲み明かした正月でしたが今日の七日正月で終わりです

胃腸の方もよくぞもってくれました ^^;

七日正月の昼ご飯はその弱った胃腸に優しい「七草粥」でした

材料は昨日の内に買っていたそうです

パックに入って398円! 高いか安いか?

自分たちで採りに行けばタダの素材ですが、便利を優先しました


右側のパックに入っていました
1七草粥 (640x465)


七草粥の昼ご飯
2七草粥 (640x468)


こちらは三時のオヤツにいただきました
CIMG4244 (640x480)


さて、七日正月も終わり、明日からまたボチボチいきます (*^_^*)

謹賀新年

                  新年明けまして
          おめでとうございます



       本年も「対馬さいじ記」をよろしくお願い申し上げます



049n1 (640x432)


我が家の「お雑煮」を用意しましたので召し上がってください
ぞうに


プロフィール

テマドハルベ

Author:テマドハルベ
団塊世代、もうすぐ後期高齢者。
花鳥風月、なんでもありのブログです。

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