FC2ブログ

ガッパ

対馬のあちこちにガッパにまつわるハナシがある

明治33年(1900)生まれで昭和51年1月に76歳で亡くなった祖父は、煙草も酒も飲まないが、孫ぼんのう?(こんな言葉はないだろうが・・・)で優しい爺様だった

その爺様から聞いたハナシだが・・・・

ある時、山だしの手伝いを頼まれたゲナ
(山だしとは、山で切った杉や檜を平地に出すことから「山だし」という)
山から引っ張り出した材木を馬で引いて馬車まで運ぶ途中、馬が立ち止まって前に進まんので、よく見たら近くに子どもたちが遊んでいたゲナ
爺様は、こげえなとけえ、コノソレん(子どもたちが)居るはずはないと思うたゲナ
それでも「こらぁ、オシダー(おまえたち)、そこをどかしや! あぶねえやねえか!」とおらんだ(叫ぶ)ゲナ
子どもたちは遊びを止めて道を空けたゲナ

暫くして、次のオッサマが同じように材木を馬に引かせて来た時も子どもたちは遊んでいたゲナ
しかし、そのオッサマは子どもたちに声をかけないで馬車まで材木を引いて行ったゲナ

それから何日かして、そのオッサマの足が痺れたり、痛うして動かれんようになったゲナ
病院に行って医者に診てもらっても原因が分からんやったゲナ
足が痛うして動きもできんオッサマは、人様のススメもあって祈祷師様に拝んでもろうたゲナ

祈祷師様が言われるには「オマエさまぁは、材木でガッパん子の足ば引いとる」
「そんガッパん親がハラカイテ、オマエさまん足ば同じようにしとる」
「ガッパん好きな赤飯ば炊いて、棲家ん渕んとけぇ、供えませ」と言われたゲナ
早速そのオッサマは嫁さんに赤飯を炊いてもらい皿に盛ってガッパの棲家になっている
「渕」にお供えしたゲナ
そしたらたちまちオッサマの足は前と同じように痛くもなし、動くようになったゲナ

「熊爺も同じように材木を引いたとに、なしてワシだけがこげぇな目におうたちゃろうかのう」とオッサマが言うたゲナ
「そういや、あん時、子のそれん遊んどったけ、危ねぇけ、そこをのかしやチおらぁ言うたのう、それん良かったかものう」熊爺は答えたゲナ

またある日、いつものように爺様は馬に乗って田畑に行く途中、大きな渕がある付近で
馬がたちどまったゲナ
「ハイ、ハイ、シッ、シッ!」と馬の尻を手綱の先で叩いても馬は立ち上がって前に行こうとしなかったゲナ
そこで熊爺は、先日のことを思い出したゲナ
「ははぁ、またガッパん道ん真ん中で遊びよるな」
「ホラ、ホラ、分かったけ、そこをどかしや!」と言うたゲナ
すると間もなく、馬は何事もなかったように前に進み始めたゲナ

雨が降る晩に炬燵の中で真面目な顔で話す熊爺のハナシに聞き入る幼い頃の私がいた
そのハナシを聞いてからは、野小便をするときも、深い渕がある通りを歩くときや、なんとなくボンノクソ辺りが「スーッ」とするような場所を通るときには今でも
「そこのけよ、今から通るぞ!」と独り言を言うようになった

対馬のガッパについては、「大石武著 島の故事探索(三) 伝説散歩・八幡の島」に詳しく載っている
氏もその本の中で対馬のガッパについて書いているが、一般に言う背に甲羅を背負い、頭に皿があり水掻きを持ち、くちばしが尖った「河童の絵」でみるような河童ではないと
私も思う

説明が出来ない事象や怪奇現象等を含めてガッパのせいと言っている
例えば、ある人が道端で美味しそうに馬糞をほおばっている
通りすがりの人が怪訝に思い「オマエ様は何ば食いよっとね?」と尋ねると
「こんなウメェ饅頭が他にあるもんな、ひとつやるけオマエ様も早よ食いなされ」
その人の家族に事情を話し、「拝んで」もらうことに
そしたら、その人に「ガッパが憑いていた」ゲナ・・・とか

この馬糞饅頭バナシはどこかで聞いた(対馬以外で?)ハナシを孫の私に面白おかしく
話したのかもしれないが、今それを確かめることはできない

次のハナシはご本人から直接聞いたハナシである
夜道を帰宅途中の人が自宅に帰ってこない。家人は心配でならない
本人は朝、目を覚ましたら自宅から遠く離れた所で丸太を抱いて眠っていたゲナ・・・とか


とらえどころのないような男のことを「あいつはガッパや!」といったりした

タヌキやキツネがいる地方では「タヌキやキツネに騙された、取り憑かれた」というハナシになるのだろが
タヌキもキツネもいない対馬ではみな、ガッパのせいにしてしまう
ガッパにとって迷惑なハナシである

対馬の川
IMG_0951 (640x474)


        ――――― 写真は本文とは関係はありません ――――――

スポンサーサイト



夕陽

国道382号線の万関橋と玉調の間に、浅茅湾の入り江が国道のすぐ下まで深く入り込んだ所がある
その場所が、夕陽が海に映え山脈に隠れていく風景を見ることができる穴場だそうだ
自宅からその場所まで車で10分足らずの距離だがわざわざ見に行くことはない
冬場はともかく夏季の日没前といったら私には貴重な時間帯だからだ
(なんてことはない、ただ晩酌の時間帯なのだ)

ある日、他の用事があっての帰り道、たまたま夕日が山脈に落ちようとしていた
車の交通の邪魔にならぬよう空き地に駐車して用心しながら国道を渡った
法面の刈り取りがしてあり、水門の天端に降り立って数枚の写真を撮ったが、あいにくカメラは
コンデジで三脚もない
帰宅してパソコンに落としてみるとブレブレ画像の量産だった

玉調
夕日1 (640x480)

同じ場所だが少々アップで撮影
夕日2 (640x480)

場所を移動して、遠く白嶽を望む
夕日3 (640x480)


3枚目と同じ位置から
夕日4 (640x480)

3枚目の写真の左下に見える狭い海は「万関瀬戸」の西側、浅茅湾に抜ける水路である

今、対馬は万関瀬戸を挟み二つの島に分かれているが、もともと一つの島であった
この万関瀬戸は天然の海峡ではない、当時の帝国海軍が開削した人工の運河である

対馬の要塞化が始まったのが明治18年(1885)、そして明治27年(1894)8月には日清戦争が始まり、
日清戦争に勝利した翌明治29年に竹敷が海軍要港部に昇格することになる

そして軍部は日露開戦を念頭に置き、さらに次の備えと進んでいくのである
この年(明治29年)、久須保水道の掘削が始まり、明治33年(1900)に開通し東海と浅茅湾に
水路が通じることになった

そして万関瀬戸の開削竣工から111年を経た今日、この地は対馬観光のメッカとなり、
上下の対馬島を結ぶ三代目の万関橋は対馬の大動脈であり心臓でもあるといえる



(参考文献:永留久恵著「対馬国志 第三巻」)

ゼーモク舟

ゼーモク舟とは、漢字を当てると「材木舟」のことで杉の角材で組んだ筏のこと。
テングサなどの海藻を採るときに使用されていたので「藻刈舟(モガリブネ)」とも呼ばれているそうだ

ゼーモク舟についての詳細は以下のアドレスを見てください

http://sagoku.exblog.jp/14726499/


記事にあるように今は海に浮かんでいるゼーモク舟をみることができない
たまたま写真の整理をしていたら2002年2月21日に写した写真が出てきた
その時も、海に浮かんだゼーモク舟ではなく斜路に陸揚げしてあった

注:「斜路(シャロ)」小舟などを引き上げる場所のこと 
  コンクリート舗装で緩やかな勾配がついている 中にはレールが敷設されている斜路もある
   漁港が岸壁で整備される以前は、いわゆる前浜に引き上げて船底の掃除などの整備をしていた

2002年2月21日 佐護湊
モガリ舟1007

「目で見る 対馬の100年」の130ページには昭和34年5月、ゼーモク舟で「かじきり網」をしている写真が
掲載されている(撮影者:大石武氏)

白嶽

九州の百名山の一つ「白嶽」をいろんな角度から写真を撮ってみた

白嶽は標高519mで途中の原始林が国の天然記念物に指定されいる
この原始林の特徴は、植物の日本系分子の分布の西限をなし、また大陸系分子の分布の東限となっていて
日本系の植物と大陸系の植物が混成していて珍しいそうだ

また霊山として洲藻をはじめ、箕形、吹崎、加志、今里、阿連など麓の集落の民俗的信仰の中心でもあったが、
今は洲藻の集落だけが白嶽様祭として1月、5月そして9月のいずれも17日に祭事が行われているようだ

この山に初めて登ったのは確か小学5年か6年生の頃だと思う
今、古いアルバムが手元にないのでハッキリしないが偶然、頂上で会った方が農業改良普及所の方で
カメラを持参されていたので写していただいた
その時、阿連から登ってこられたというお婆ちゃんとの記念撮影?の貴重な一枚の写真がある
その後、中学生の時、高校時代に一度ずつ登った
成人してからも数回は登ったが最後の登山からもう20数年が過ぎた
体力があるうちにもう一度は登ってみたい


洲藻から見た白嶽遠景 神社の銀杏の葉が黄色くなってからがよかったかな?
1洲藻白嶽 (640x480)

上見坂公園から 桜の紅葉が始まっていた
2上見坂 (640x480)

上見坂公園から小茂田に向かう県道からの白嶽
3小茂田道白嶽 (640x469)

日見から鶏知に通じるバイパスから(白嶽トンネルを洲藻側にぬけた場所から)
5日見バイパス洲藻側 (640x480)

上の4枚の方角から見る白嶽は、私が普通に見ている「白嶽」

黒瀬から昼ヶ浦に行く途中の市道から見た白嶽 この方向からの白嶽は年に1,2度くらいかな?
4昼ヶ浦道 (640x474)

加志の集落に入る市道からの白嶽
6加志白嶽 (640x475)

加志の集落を過ぎて農道の終点付近 通称トトロの耳の白嶽
7加志白嶽 (640x478)

尾崎漁港からの白嶽  海に浮かんでいる筏は「マグロの養殖用」
8尾崎白嶽 (640x477)

阿連川上流から見た白嶽 ここからの白嶽もあまり見る機会がない
9阿連白嶽 (640x476)

4枚目の写真の白嶽トンネルよりも日見側 最初、この方角から見たときは白嶽と思わなかった
上記の文は間違いでした 今夜、ラッキーパパさんよりご指摘を受け下記の様に訂正いたします

「穴ノ壇山」です 見慣れない方角から確認もしないで「白嶽」と思い込みご迷惑をおかけいたしました
10日見 (640x480)

日見側からのアップ画像 いつも見ている白嶽の雰囲気?はありません
こちらの文も同じく間違いでした

「穴ノ壇山」です  写真を削除すればよいのですが「教訓」として残します
日見 (640x480)


ほとんど毎日のように見ている自宅付近からの白嶽の写真がありません

対馬文学散歩1

文字として対馬が文献に現れるのは三世紀に書かれた魏志倭人伝だそうだ。

「・・・居る所絶島、方四百里ばかり、山地険しく、深山多く、道路は禽鹿の径の如し・・・」

古事記に「津島」の名があり、これを日本書紀は「対馬島」と記載、その後日本書紀には度々、対馬が出てくる。
天智天皇六年(667)、対馬国に金田城を築くとあるのもやはり日本書紀。
続日本書紀・万葉集・類聚三代格・三代実録・・・対馬の名が出てくる史書が続くが、
ここでは近世以降の文学作品等に登場する対馬を紹介してみることにした。

そこで第一回目は吉田絃二郎を取り上げてみる。

吉田絃二郎と「島の秋」・「磯ごよみ」

 絃二郎と対馬の関わりは、早大在学中の明治39年(1906)12月1日、当時の対馬要塞砲兵大隊に入隊、
明治41年(1908)9月1日、見習士官として再び対馬要塞重砲兵大隊(改称)に入隊している。

 そして作者が自作について次のように書いている。
「対馬の兵営生活時代に、漫々たる玄海の波を眺め日から日、夜から夜と孤島の山の背を
たどりながら行軍をつづけたころ感じた島の印象を叙情詩的な気分で描いてみようと試みた。」

 これが大正5年(1916)、「早稲田文学」に発表された対馬を舞台とした短編小説「島の秋」である。

ウィキペディアによると
吉田絃二郎(よしだ げんじろう、1886年11月24日 - 1956年4月21日)は、日本の小説家、随筆家。佐賀県神埼郡西郷村(現在の神埼市)に生まれ、幼時に長崎県佐世保市に移る。本名は吉田源次郎。
佐賀工業学校金工科(現在の佐賀県立佐賀工業高等学校機械科)、早稲田大学文学部英文科を卒業。1915年(大正4年)に早大講師、1924年に同大文学部教授となる(教え子には井伏鱒二等がいる)。教職の傍ら詩や小説を多く執筆した。1934年(昭和9年)に早大を退職し作家活動に専念。小説・随筆・評論・児童文学・戯曲と幅広い分野で活躍し、著作集は236冊を数えた。1956年4月21日死去、享年69。
とある。

 若い美しい妻、お菊と男の子を連れた元潜水夫の親方と一緒に、内地から対馬の鉱山に渡ってきた若者、清さんと親方夫婦の4~5年間の島での暮らしと、島を去るまでの悲しみを描いた作品である。


「淸(せい)さん一時(いつとき)俺が持たう。」
 でつぷりと肥つた五十恰好の日焦(ひや)けのした男は前に歩いてゐる色の蒼白い若者に聲をかけた。
「なあに、親方重くも何ともありませんから……」

このような書き出しで始まる名作「島の秋」は以下のアドレスで読むことが出来る。
 http://www2.ocn.ne.jp/~bwd/shimanoaki.htm

 絃二郎の作品で他に対馬を描いた「磯ごよみ」という短編がある。

 「美津島の自然と文化を守る会」発行の「対馬と近代文学抄」には
磯ごよみは、島の秋より早く大正3年(1914年)、当時の早稲田文学に発表された吉田絃二郎の
文壇的処女作であると言われる。
 落胆の人、敗残の人というような言葉に妙な好奇心をそそられるように、東京から孤島対馬の
港湾工事の設計等に来た若い徳二を中心に、同じ仕事仲間の半田さん、河野さん、丹治、録どん、
人夫等が展開する人々の荒んだ人間模様が描かれる。
 人々が朝鮮風とよぶ長い秋から冬の島の自然の厳しさや、山ねこ(焼酎)注1 をあおる人々の
哀愁が感傷的な筆致で描かれている。
 やがて、徳二は、自分は何で東京の生活を捨てて、こんな離れ島に淪落の生活を送るようになったかと思い始める 。
と、紹介されている。

 注1:この山ねこ(焼酎)は、今発売されている「やまねこ」ではない。
    当時、密造酒のことを対馬では「山ねこ」と称した。

 
また機会があれば対馬が舞台となった作品を紹介したい

上見坂公園にある「島の秋」の文学碑
1島の秋文学碑 (640x480)

昭和32年の建立、風化により文字が読み辛い「島の秋」の一節が刻んである
1-2島の秋文学碑2 (640x471)

連隊跡地の記念碑 鶏知中学校の上手市道脇にある
2連隊跡地記念碑 (640x477)

終戦時の連隊長の名がある
3連隊跡地記念碑2 (640x473)

記念碑の門柱の拡大写真
4門跡 (640x480)

こちらの門柱は連隊跡地に建っている中学校の門、位置は当時と同じか?
中学校の門 (640x480)

わが家に「吉田絃二郎の作品集」が何冊かあったが、4年前のリフォームの時に小屋につっ込んだままになっている

イモボナ

今里から尾崎に向かう市道の横の畑に奇妙な小屋を発見した
畑にはコウコイモ(孝行芋)、いわゆるサツマイモが植えてある
多分、コウコイモを貯蔵する「イモボナ」だと思う

我が家でも中学生の頃までコウコイモを作っていた
もちろん食用の為だが、祖父が雌牛と牡馬を一頭ずつ飼っていたので飼料用としても利用していた

芋は蒸かしてコビルマ(オヤツ)として食べたり、薄切りにしてカズラに通し乾燥させてキリボシに、また茹でた薄切りの芋を干し、餅に混ぜて食べるイガキキリボシ、そして手間暇がかかるセンダンゴなど貧乏農家にとって貴重な食べ物であった

もちろん天麩羅にして食べる方法もあったが、忙しい百姓の主婦(母)がそんな洒落た料理を作るわけがない

我が家の「イモボナ」は自宅の床下(縁の下)にあった
今の家屋みたいに布基礎ではなく、一本一本が独立した束柱の床下が高い家だからこそ出来得る貯蔵庫である
芋を入れる穴の中には定かではないが何故か麦藁で稲藁ではなかったように思う

当時はイノシシなどいなかったので防護柵などなかった
学校帰りによそ様の芋畑の芋を失敬し生でかじる、そんな遊び?もした
カズラにスライスした芋を通したりセンダンゴ作りの手伝いをしたり、今は懐かしい思い出だ

正面に見える左の建物は今里中学校、右が今里小学校の校舎
芋穴 (640x480)

赤い屋根の建物は小・中兼用の体育館
芋穴1 (640x476)

リッパな屋根だが横の土から雨水が浸水しないか気になったが、たぶん大丈夫なんだろう

干し柿

我が家の庭に柿の木が一本ある
植えた記憶がないので多分、カラスが種を運んできたのだろうと思う
その柿の木に何時の頃からか実がなり始めた
数年前、実をかじってみたら渋かったので勝手に渋柿と決めつけ、たまに熟した実を食べる
ぐらいで、後は冬場のメジロやヒヨドリ、カラスたちの餌に残しておいた

ところが今年は例年にない当たり年で実をたくさんつけたので「干し柿」を作ろう!と思い立った
脚立を準備し収穫、全部取ってしまわないでメジロたちに残しておいた

干し柿にするために皮をいくつかむいたところで「ゴマ」を発見!
ナヌッ?甘柿?・・・試しに恐る恐る食べてみたら あ・ま・が・き (@_@;)

いわゆる「ゴマ」が少々足りない甘柿と判明した \(^o^)/
が、最初の目的?どおりに干し柿を作ることにした

「渋柿の食べ方」をネットで検索すると干し柿の他に「焼酎で渋抜きする」という方法があったので試してみることにした
我が家には芋焼酎の25度はあってもホワイトリカーの35度はないので買って来てもらった

焼酎で渋抜きする方法は4,5日で食べることが出来るらしい
干し柿は果糖が実の周りに吹き出したら食べても良いということだ

7月から震災の応援のため仙台に単身赴任している次男が、正月休みには親子3人で帰省す
るので炬燵の中でミカンと干し柿を食べよう


収穫した柿 左上の籠の柿は焼酎の渋抜き用
左下の柿はヘタの所に小枝をつけて吊るし柿用
右の柿は小枝がついてないので皮をむいてそのまま干すことにした
干し柿1 (640x466)


右側の柿の皮をむいたところ
干し柿2 (640x469)


そして干物作り用のネットの中へ
干し柿2-1 (640x479)


紐を括り付けるための小枝をつけた柿
干し柿3 (640x480)


蒲団干し用の竹竿へ吊るした
干し柿3-1 (640x450)


焼酎で渋抜きする柿は今日一日、天日干しに
干し柿5 (640x480)


20個ほど実を残した柿の木  たぶん来年は裏年で実をつけてくれないかもしれない
柿の木 (473x640)


さてさて、干し柿つくり初体験は如何に!!

矢立林道の山野草2

昨日見損なったリンドウを見たいと思っていたが庭の柿の実が気になって仕方がない
午前中、昨日見た植物の同定をお願いしていたKさんの釜場を訪ね説明していただいた
その後、午後から庭の柿の実ちぎり・・・
この柿については後日改めて
ということで、昨日の矢立林道の続きです

相方が見つけて昨日から気になっていた植物
今まで見ていたサイヨウシャジンと葉の形状が違うし群生していない・・・ひょっとして・・・
Kさんに昨夜mailに添付して同定をお願いしていた・・・ヤッパシ「サイヨウシャジン」だった

サイヨウシャジン
サイヨウシャジン

対馬の秋の定番ツシマママコナ
ツシマナマコナ (427x640)

ヤマラッキョ
ヤマラッキョウ1 (418x640)

今の時期どこでも見ることが出来るヤマハッカ
ヤマハッカ (426x640)

シラヤマギク
シラヤマギク (382x640)

ヤマジノギク 崖の上にあったので撮るのに苦労した
ヤマジノギク (640x426)

ゲンノウショウコの白花 ピンクの花は普通に見ることができる
ゲンノウショウコ白 (426x640)

アキアカネ1 通称アカトンボ  ♪ 夕焼け小焼けのアカトンボ ♫
アキアカネ (426x640)

アキアカネ 
アキアカネ2 (640x426)

こちらは♀?・・・かどうか、わかりません
トンボ (424x640)

通称チマキシバの実
サンキラ


秋の散策は時間がいくらあっても足りません

矢立林道の山野草

矢立林道にセンブリの花とリンドウを見に行った
この林道は対馬で一番高い矢立山の中腹を走っている道路で標高もそこそこある
林道沿いは秋の山野草が白、黄、紫、ピンク等々の花を咲かせていた
今日の目当てはセンブリとリンドウ
毎年この時期に見に行っているので場所の特定はできる

まずセンブリが咲いている道端に駐車、相方は早速花を見つけてマクロレンズで撮影に入った
少し遅れて私も続く

センブリ 植物が育つような肥えた土ではないけど一生懸命咲いている
センブリ1 (425x640)

こちらのセンブリは少し肥えた土の上、花が多い
センブリ2 (427x640)


センブリの花を撮っていたら相方が手招きするので行ってみるとツルリンドウが一輪咲いていた

ツルリンドウ
ツルリンドウ1 (427x640)


場所を移動してリンドウを探すが見つからないので諦めて別の花を撮影

アキノキリンソウ
アキノキリンソウ1 (426x640)

オミナエシ
オミナエシ (426x640)

コシオガマ 私はこの花を見るのは初めてだが相方は見たことがあるそうだ
コシオガマ1 (427x640)

矢立林道から見た内山の集落、前方の高い山は龍良山(たてらやま)
内山集落 (640x480)


明日か明後日はリンドウを探しに行こう

CDデビュー

8日の土曜日は地元の住吉神社の前夜祭だった
毎年、本祭には行かず夜宮のお参りをする
今年も近くに住む弟夫婦と4人で神社まで6分の距離を歩く
というのも、神社に奉納してある名酒「白嶽」の樽酒を、これまた薫り高い枡でいただくので飲酒運転防止?のため歩く

まずお賽銭をあげ「家族の健康」をお願いした後、枡になみなみと注いだ「白嶽」をいただいた
下の境内では奉納の演芸があっているので立ち止まって観ていると、地元出身の子がCDデビューをしたという横断幕が張ってあった
そのCDデビューした歌手とは派出所横にある商店の娘さんだそうだ

プログラムを見ると新人でもそこはプロ、「トリ」を務めるようになっている
いつもは素通りする相方が珍しく「見て行こう」と言うので付き合うことにした

芸名は「naruko」というらしい 本名は漢字(ワカリマセン)でなるこサン
ひまわり1 (640x471)

少しアップで撮ってみた
ひまわり2 (640x474)

こちらは地元の「親父バンド」 結成して間もないそうだがベンチャーズの曲を4曲披露
アンコールが出てもう一曲、観衆のオジサン&オバサンたちが踊っていました
親父バンド (640x479)


narukoちゃん?は「ひまわり」の他2曲を披露した
厳原出身のMISIA(ミーシャ)さんみたいにメジャーになってくれればいいなと思う

探鳥会

先日、対馬野鳥の会と通称「やまねこセンター」との共催で実施された秋の探鳥会
26名の参加者が佐護椋梨のバードウォチング公園を出発し塩田の周辺を探鳥しながらの約2時間を楽しんだ

当日は10月にしては汗ばむほどの好天だったが生憎、鳥の種類には恵まれなかった
10時から12時までに観察した鳥類は、対州名物のトンビやカラス(2種類)を含めても
25種類ということで参加者よりも少なかった

昨日、コガモとしてカウントしていた中にシマアジがいたというメールと証拠写真が転送され26種に訂正があった
数は少なかったが数年に一度、観察されるか否かという「マダラチュウヒ」がまだ滞在して
いて皆を満足させてくれた

昼食後、皆さんと別れ田の浜コースで帰途についた
田の浜の田圃で稲刈りがあっていたが、よく見ると若い男女が沢山作業をしていた
道路わきに駐車している車に「ヤマネコ応援団」のステッカーが貼ってある車が多い
多分、ボランティアの若者が刈り取りを手伝っていたのだろう
そんな若者たちの姿を見るとなんだか嬉しくなってしまう

事務局の説明を聞いている参加者の皆さん
手前に見えるスコープが私のスコープ(30倍)これにデジカメをセットします
集合 (640x480)

バッタを銜えたノビタキ
nobitaki1 (640x478)

稲刈り作業中の若い集団
稲刈り (640x467)

人工池では亀が甲羅干しをしていた
kame1 (640x427)


秋桜

先日行った田の浜にコスモス畑があったので写真を撮った
漢字の和名では秋桜とあてるようだ

花言葉を調べてみると、コスモス全体と花の色によって違うようだ
一般的に色そのものが持つ印象からだと思うが、ピンクの花言葉は「少女の純潔」という

「ピンク」から連想すると、ピンク映画(古い表現です)、ピンク色に統一した新婚部屋の中・・・
どうにもこうにも中年を過ぎたエロ親父の薄汚い貧困な連想しか出てこない 

そういえば、さだまさしの作詞作曲で山口百恵が歌った曲に「秋桜(コスモス)」という名曲があった
検索みるとYou Tubeには年代別に歌った?「秋桜」があった
それらを聴き比べてみる

私見だが、リリース時の歌もいいが円熟味を増した頃のバラード調の歌い方が好きだ
リリース時の18歳かな、その頃の歌い方は「嫁ぐ直前(?)」の無垢な娘の思いを歌っているよう
円熟した百恵が歌う「秋桜」には、嫁いだ後、数年が経って当時を思い出しながら歌っているように
聞こえるのは私だけだろうか?

コスモス1
kosumo2 (640x400)

コスモス2 1の写真と同じ位置で撮っているがカメラの目線を低く撮るとまた感じが違ってくる
kosumo3 (640x387)

コスモス3 こちらは1と同じ目線で撮った
kosumo1 (640x427)

山野草

ママコノシリヌグイという植物がある。
花の名前でこれほど凄い名前の植物も珍しいのではなかろうか?
なんでも名前の由来は茎に下向きにつく棘があり、継母が継子の尻をこれで拭いてママコ
いじめをする例えに使われるそうだ。

中国や朝鮮半島にも分布するそうだが、ちなみに韓国では「嫁の尻拭き草」と呼ばれるとか、
中国では何と呼ぶのだろうか、ま、かの国でも似たようなもんだろう。

似た花でミゾソバというのがあるが、こちらの別名はコンペイトウグサと呼ばれる。
どちらも花期は春から秋に咲く息の長い野草であるあることには変わりはない。

ママコノシリヌグイ 茎に棘が見える
ママコノシリヌグイ1 (640x480)

花の名前は凄いが花は米粒よりも小さく可愛い 
ママコノシリヌグイ2 (640x471)

こちらはミゾソバの花 茎に棘のようなものが見えるが棘ではない
ミゾソバ (480x640)

イヌタデ この花も道端に普通に見られるがマクロレンズを通してみると可愛い
イヌタデ1 (640x480)

イヌタデ この花も小さくかたまっている
イヌタデ2 (640x479)

カラスウリの赤く熟した実 子どもの頃、カラスノマクラと呼んでいた
カラスウリ (479x640)


コンパクトカメラにクローズアップレンズNO.5を装着しただけの安上りのマクロ撮影だが、
結構マクロの世界が楽しめる
ミゾソバとカラスウリはコンデジのマクロ機能のみで撮影した

飛びもの

今日は所用があって佐護まで足を延ばした
早々と用事を済ませ湊の公園で握り飯弁当をほおばり塩田の周回道路へと急いだ
情報通り、なーーにもいません、ノビタキが稲穂に止まっていたが遠すぎます。
椋梨の農道を廻ってもタヒバリたちもいないので佐護を諦め田の浜まで。

田の浜には人工池にマガモの集団が・・・そろっと車を降りて双眼鏡で観察しようとした途端
気づかれて一斉に飛び立ちました
あわててデジ一眼を構えたときには遥か上空を飛んでいました
旋回してきたときになんとかカメラに収めましたが、腕がにぶっていてピントが合わずシャッターが落ちない

すぐ近くに旋回してきました・・・がピントが!
kamo2 (640x391)

だんだん遠ざかっていきます
kamo3 (640x360)

青空に出たときは遥か彼方へ
kamo4 (640x416)

3年ぶりに再開したトリミの前途は多難です
・・・というのも、デジスコを使う機会があるかもと思い、三脚・デジスコ用のバッグ(カメラ類が入っている)
だけ積み込んで、肝心のスコープが入ったバッグを積み忘れておりました ^^;

ま、デジスコをする鳥がいなかったのでヨシとします(スゴイ、負け惜しみデス)

山野草

自宅を出てダムまでの道を歩く
この道をダムの方に右折しないでまっすぐ登って行くと上見坂公園がある
小学校の入学遠足は近場の海岸で済ませるが、卒業遠足ともなると上見坂公園というのが
地元の小学校の定番であった
過去形で書いたのは、何時の頃からか定かでないが上見坂公園までの遠足は中学生も行かないそうだ
理由は・・・教員が歩くのが嫌なのかどうかは知らないが、小・中学校とも近場の公園で済ませている

そのダムに行く途中に周回できる道路の最上流に架かっている橋があるが、
普段はその橋まで歩いて17分かかる

昨日はその道すがら、咲いている山野草の花々を撮りながらだったので約28分かかった
撮りたい花をカメラに収めたので、汗をかくためのウォーキングに切り換えダムまで歩く
このダムの周回道路にもいろんな山野草が咲いているし、また今からも色々な山野草が花を咲かせるので
楽しみだ

キンミズヒキ(金水引) 分類上は夏の花だが夏を惜しんでいるのかまだ咲いていた
キンミズヒキ (480x640)

シラヤマギク(白山菊) よく似た花にヤマシロギク(田舎菊)がある
ヤマシロギク (480x640)

ヤマハッカ(山薄荷)  日本のハーブ?
ヤマハッカ (480x640)

ヤマヒヨドリ(山鵯花)
ヤマヒヨドリ (479x640)

ヨメナ(嫁菜) 別名ノギク 昔読んだ本の中に「タミちゃんは(だったかな?)野菊の花のようだ」という一文があった・・・
あのノギクの花だ
ヨメナ1 (478x640)

山野草や風景等の写真もそうだが、どうも最近は「手抜き」が多い
以前はマクロレンズや望遠レンズで前ボケ、後ボケやリングボケを狙った写真だった・・・
コンデジの機能が良くなったので重たいデジ一眼を使う機会が少なくなった
これも根気がなくなったせい?・・・にしてはいけない (*^_^*)


うろこ雲

夕方、西の空を見上げたら「うろこ雲」がでていた。
うろこ雲は空気が冷やされてできる。だから、うろこ雲が見られるということは低気圧が
近付いてきている証拠、明日から天気がくずれ雨模様になる。
東側にはあまり雲がなく、この時間帯にいつも東の空を飛んでいく飛行機が見えた。
どこに行く飛行機かわからないが多分、韓国の釜山か仁川に向かっているのだろう。

ところで今日は親父の命日、昭和45年10月4日、早朝5時過ぎに53歳で他界した。
私が23歳だった。年月が経つのも早いものでもう41年が過ぎたことになる。
親父が好物だった「すし飯」を相方が作ってくれた。

成人する前から親父と一緒に生活していない。顔を合わすのはお盆と正月に帰省した時ぐらいで、じっくり話したことはなかった。
一緒に酒を飲む機会も少なった。
もっと、もう少し長生きしていてくれたらいろんな話が聞けたのに・・・
今さらどうすることもできないが、毎年、親父の命日が来るたびにいろんな話がしたかった
と思う。

さてと今から故人を偲びながら仏壇の前で酒でも飲むか・・・・

自宅裏から見た西の空、少し逆光気味・・・
うろこ雲1 (640x480)

東側の空は西日が当たって杉の木が光っていた
うろこ雲2 (640x480)


プロフィール

テマドハルベ

Author:テマドハルベ
団塊世代のおじさん。
花鳥風月、なんでもありのブログです。

ようこそおいでなさいました
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR